《所有資格・カウンセラー紹介》
所有している資格・経歴と、カウンセラーの自己紹介ページです。
≪所有資格≫
・公認心理師
・認定心理士
・心理カウンセラー
・上級心理カウンセラー
・家族療法カウンセラー
・チャイルドカウンセラー
・正看護師(医療安全管理者、医療対話推進者)
・ペットケアアドバイザー(愛玩動物飼養管理士)
・動物管理責任者(第一種動物取扱業登録 種別:展示)
※下記へ登録識別表記
≪修了≫
・日本心理カウンセラー養成学院
・ペットパートナーズ(旧デルタ協会)ハンドラー養成
≪経歴≫
中学校卒業後、衛生看護科を経て、看護師取得
18歳 北区 旧 貴友会病院へ就職し、病棟・外来を経験。
25歳 結婚を機に、退職し、葛飾区 精神科 老人保健施設へ転職
26歳 出産を機に、産休するも、保育園の募集に漏れ、育児休職。
2年、健診などの非常勤ブランクを経て、
28歳 現在の新葛飾ロイヤルクリニックへ非常勤看護師として就職
外来看護師を経て、医療安全対策室、患者相談窓口勤務を兼務し、
心理学向学の上、各種 医療安全管理者を始め、各種心理資格、医療対話推進者など 資格を取得。
H28年 当ルーム カウンセリングルームCLOVER.を開業。
現在、クリニック勤務の看護師と、当ルームを併勤している。
〖カウンセラー紹介〗
カウンセラーになるまで…
こんにちは はじめまして。
カウンセラーの山口真央です。
カウンセリングをお受けになりたいとお考えの方にとって、
カウンセラーがどんな人間なのかについては、気になることの一つかとも思います。
いらっしゃる方、お一人お一人に、
クライエント様のお話をさしおいて私のお話しをする機会もなかなか難しい面があるのと、
まずは私の方から紹介させていただく…という自己紹介を込めて、
私がカウンセラーになるに至ったまでを、少し紹介させてください。
ご興味のある方は、よかったら…。
(ちょっと長いかも(^^;))
私の父はアルコール依存症で、
そんな父を中心に、幼少期には様々な苦しい経験がありました。
家族の中に、著しく心の苦しい何かを背負う人員がいると、
家族は大きく大きく動揺します。
その動揺が続けば続くほど、
家族の動揺も、人数分大きく揺れ動きます。
今でこそ、心療内科は当たり前の時代ですが、
30年以上も前には、まだまだ今よりもさらに、精神疾患や心療内科の理解は乏しく、
父のように心を病む人、またその家族に対し、
今でも十分とは言えないですが、当時はもっともっと悲しいほどの環境でした。
記憶の中で、幼いころの記憶はすべて、父の自傷的な影響に振り回されている記憶しかありません。
幼い私は、その取り巻く環境、周囲の感情や思いを受け止めることができず、
『どうしてこんな生活をしないといけないのか』
『どうして普通に暮らすことができないのか』
『どうしてこんな毎日が悲しいのか』
つんと突けば、涙がいつでも出るような状態でした。
笑っているときもあるけれど、
楽しいことだってあるけれど…、
いつも悲しい、
いつでも悲しい…。
きっかけは何なのか分からない時でさえ、
ふと、いきなり来る、悲しい波があって、
どうして悲しいのかすら分からないものでした。
意味もなく涙が溢れて止まらなくなる、黒いものに覆い包まれてしまう。
幼稚園、小学校…のいわゆる幼少期、
そんな子どもでした。
それだけに、人と上手に付き合うことができず、
楽しいと思うようなやり取りの中で、黒いものに囲まれることから、ふと逃げ出したいような不安や悲しみに取り囲まれるので、
その場に居続けることができませんでした。
唯一、心が安らげる場所は、動物たちのいるところ…。
人間はどこか怖くて、動物たちと過ごすときには、安らぐことができていました。
(現在のCLOVER.の目指したアニマルセラピーの原点はここでもあります。※CLOVER.の考えるアニマルセラピー)
おそらくそれは、周囲から見れば、ただの変な子であったと思います。
そんな自分の未来が温かいものになっていくなんて、
望みはしても想像することができない…。
そんな状態でした。
そして思春期の頃、
夢を追うころなんでしょうか、
『誰かに助けてもらいたかった…』
でも、
どう、その願いを発信すれば、助けてもらえるのか分からない。
その『誰か』を私が見つけることができないなら、
私はせめて、見つけられない誰かにとっての、その、『誰か』になりたいと思うようになりました。
それがカウンセラーになろうと思ったきっかけです。
ですが、それは小学校高学年の頃の話で、
どうやったらなれるのかを探すことが未熟であったのと、
さらには、まだまだ心理学が確立されていなかったこともあって、
一度、保留にしていました。
その後、中学で、看護師を目指す友人との出会いがありました。
それがあったか!(笑)
目からうろこが剥がれ落ちた瞬間でした。
彼女は迷いなく看護師を志していて、
彼女との出会いは、イコール、医療の世界を進むという選択肢に出会ったことでもありました。
そして『看護師』という入り口から、医療の世界に入り、しばらく看護師を続けていきました。
カウンセラーという現在からすると、少し遠回りをしたのかもしれません。
ですがそれは、なるべくしてなった遠回りで、
看護師の仕事と同じくして、自分自身の心の傷を消化することから始まりました。
自分自身もカウンセリングを受け、心理学も学ぶうちに、
・考えは変えられること、
・考えの癖は変えられること、
・悲しい、苦しい、を変換させる方法があること、
尊敬できるカウンセラーさん達との出会いの中で、いろいろな大きな学びになりました。
看護師として7年目、病棟、外来など、一通りの経験を経たころ、
結婚を経て、やはり精神的な方面へ進みたい思いが産まれました。
そこで、転居を機に、精神科の老人保健施設へ転職しました。
精神科では多くの学びがあり、知識として得てきた心理学のほかに、リアルな現場という大きな学びになりました。
その後、産休を機に、現在勤務していない状況から、保育園の優先順位の低い、いわゆる『保育園落ちた』を経験し、
ブランクを経て、一般のクリニックへ転職することになりました。
そこで、葛飾区で当時衝撃的であった医療事故に合った、豊田郁子さんが働く、現在の新葛飾ロイヤルクリニックとの出会いに繋がりました。
豊田さんは、医療事故で息子さんを亡くされるという、耐え難い経験をなされた方でした。
当時、ニュースでその事故を知り、葛飾区の医療に不安を感じていました。
そんな中、そんな経験を持ちながらも医療安全対策室を立ち上げるまでにいたった豊田さんが新葛飾ロイヤルクリニックにいらっしゃると知り、
同クリニックへ志願し、非常勤としての就職がかないました。
就職して何年かは、豊田さんとともに仕事をするということは、看護師と医療安全との世界が遠いと感じていたこともあり、
カウンセラーなど、心理学は一度念頭から外し、看護師の業務に集中していました。
ところが、看護師の後学のため進学を決めた際、職員相談も担っていた豊田さんと相談させていただく機会があり、
その後、医療安全の世界、また、職員相談、患者相談窓口、患者サポート…と、豊田さんが後押ししてくださったこともあり、様々な経験をさせていただくことができました。
豊田さんとの出会いと、豊田さんとのつながりから広がる多くの先駆者様たちとの出会いは、大きく大きく、私の世界を広げてくださいました。
この出会いを機に、相談という業務に携わることから、
やはり、カウンセリング…心の助けになるという、本来の私の医療の目的を見直し、
現在の、CLOVER.開業にいたりました。
苦しんできた経験は、
悲しかった思い、気持ちは、
打ちひしがれるほど痛いものです。
そして、これはまるで、抜け出すことなどできないかと思うほど、
呪いや宿命のようにすら感じてしまうこともあります。
でも、苦しさは、
いつか必ず、
『強み』に変えることができます!
そのお手伝い、させていただけたらと思っております。
当ルーム、CLOVER.には、『.』 【ピリオド】がついています。
クローバーが四葉になるには、ある条件が必要なんだそうです。
(CLOVER.について ※CLOVER.ネーミングのわけ より)
この『.』に、それぞれの突然変異、そんないろいろなもの…条件を詰めました。
どうかそれぞれのクローバーに、今お悩みの負荷が、経験が、
幸せの四葉として産まれてこられますように…。
カウンセラー 山口真央